新潟県の温泉旅館 出湯温泉 清廣館

開業300余年、木造3階建、国登録有形文化財の宿

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出湯温泉物語(歴史)

越後最古の温泉、出湯温泉

古文書


「大同四年(809年)、この地を訪れた弘法大師(空海)が、錫杖を地面についたら、温泉が湧き出てきたそうな。」出湯温泉に残る伝説です。

越後最古の温泉は、出湯温泉の華報寺(けほうじ)さま境内に今も脈々と湧き続けています。

寺伝のほか、鎌倉時代にこの地を治めた大見氏の「大見文書(1283年)」にも、「白河荘猿田村并湯川条…」
とあり、温泉が湧いていたことが分かります。

華報寺大正期
天然の温泉が湧出する山懐は、山伏・禅僧の修行の場として深く関わることが多く、この方たちは温泉の理学的知識を備えていました。寺院には浴堂が設けられ、修行に入る前、身を清めるために温泉が使われたようです。
各地に「温泉寺」・「温泉神社」が残っていますが、温泉そのものが今も境内の中に「寺湯」の形として残っているのは全国的に見ても珍しいそうです。

温泉番付
いにしえより続く出湯温泉の歴史は深く、興味深い逸話では、鎌倉時代には「温泉税」なるものが納められている記録や、またある古文書には、温泉に入る順番で争いが起こったことなどが記されています。

江戸時代に出された、相撲の番付表を模した「諸国温泉番付」には、出湯温泉は「出湯の泉」として載っています。(新潟県は5か所です。)

明治時代に入りますと、それまで江戸時代幕府の天領であった華報寺の温泉は払い下げとなります。そこで出湯温泉住民・宿屋5軒・華報寺の七軒で株式会社「漲泉窟(ちょうせんくつ)」が設立されます。この軒は「七軒衆(しちけんしゅう)」といい、現在も続いています。
温泉の瓶
出湯温泉の評判は名高く、昭和時代には、ガラスの一斗瓶などに温泉が詰められ、遠くは北海道まで送られていました。五頭の麓のくらし館には、当時実際に使われていたガラス瓶が展示されています。
陸軍病院
戦時中は、出湯温泉の各宿が陸軍の病院としての役割を果たし、負傷したあまたの兵隊さんが温泉でその傷を癒していました。清廣館も陸軍病院の分院の一つとして「靜山寮(せいざんりょう)」という名を頂きました。
現在もその看板は残っていおり、ロビーのギャラリーに展示してあります。

出湯の歴史

平安時代以降は九条藤原氏の荘園でした。平安末期には、九条氏・城氏に関わる密教寺院が建立されたようです。

華報寺さまは、鎌倉時代に栄えました。鎌倉時代の古文書には「華報寺」の名が見られ、また、京都東福寺の僧無関普門(むかんふもん)さまが入寺しました。この方は帰京の後、南禅寺を開山しています。

藤原氏に関わるお坊さまの入寺、また地頭大見氏の庇護があり、中世考古学のフィールドでは、華報寺さまの広大な中世墳墓は全国的にも著名です。多くの遺物が残りますが、特に石造物の出土は新潟県最多を誇ります。開山堂に納められている板碑(いたび)や、本堂裏手にある、県内最大・最古の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は一見の価値があります。

出湯温泉ゆかりの文化人

せいこうかん
清廣館

〒959-1926
新潟県阿賀野市出湯802番地
【ご予約・お問い合わせ】
電話: 0250-62-3833
受付:8:00〜21:00

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